葬儀のあれこれ
◆ もしものときのために・・・
1. 事前の心得
”もしもの時のこと”について、多くの方が「不謹慎なのですが・・・」と言いながら相談に来られます。
葬儀について考えるということは「死」を前提にしているため、否定的に感じたり、後ろ向きなイメージを持たれるかもしれません。あるいは「大切な人の死を受け入れられない」と悲痛な思いを抱くからこそ考えられないという方もあると思います。
しかし、”人生の終わり”について考えることは、その人の”人生そのもの”と向き合い、その人がどのように生きてきたのか、自分にとってどのような影響を与えてくださった存在であったのかを考えることであり、ひいては自分自身の生き方をも見つめる機縁となっていくのです。つまり「本当に大切なこと」を深く考えることになるのでしょう。
決して正解があるわけではありません。ご自身やご家族に意向をお聞きしながら、その「本当に大切なこと」を一緒に訪ね、考えていきたいと思います。気になることがある方はお気軽にご相談ください。
さて、ここでは具体的に臨終から葬儀までの儀式の流れや注意点などを紹介していきます。
2. 決めておきたいこと(おおまかなイメージで良い)
1)お世話になる葬儀社の候補
2)葬送儀式の場所
① 命終後のご遺体の安置場所
② 葬儀の会場
~ たとえば ~
A ご自宅
(お内仏(仏壇)の前、あるいは床の間にご本尊をかけて荘厳する。祭壇を用いる場合は別途祭壇料が必要。)
B お寺の本堂
(お寺にある「野卓」という祭壇を使用するため、祭壇料は不要。)
C 葬儀社の斎場
(宿泊可で利便性が高い一方で、会場使用料等の費用もかかる。各社設定の料金による)
D その他
(地域の公民館や集会所等で行われるケースもある。床の間に本尊をかけて荘厳する。)
※ お寺の本堂・同朋会館使用の場合
詳細について ☞
◆ 葬儀までの儀式の流れを知りたい
1. 命終(自宅・病院・施設にて)
1)親戚・縁者へ連絡する
2)お寺へ一報を入れる
3)葬儀社へ連絡する
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宗旨は「真宗大谷派」であること、手次のお寺は「正法寺」であることをお伝えください。
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まずはご遺体を命終場所から安置場所への移送を依頼します。
(一日でもご自宅にお帰りいただくことをお勧めします。ご自宅が難しいときは正法寺の同朋会館に安置することもできます。詳しくは後述。)
※ 葬儀の進め方や日程調整は住職を交えてご相談いただくようお願いいたします。
2.枕経(一番初めの儀式)
1)おかみそり(法名をいただいていない方のみ)
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お勤めを始める前に法名をいただく儀式を執り行います。
(法名については後述。)
2)お勤め
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住職の導師のもと、集まったご家族やご親戚がご自宅のお内仏で亡き人と一緒に勤めます。
(ご本尊・阿弥陀如来に御礼を申し上げるものであって、ご遺体に向かって読経する儀式ではありません。)
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お仏間が狭くて安置できない場合は、広間にご本尊をかけてその前にご遺体を安置します。
(「仏壇の扉は閉めなければいけない」などという声が聞かれますが、必要ありません。平時と同様にご本尊を隠さないようにしてください。)
3)法話
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一連の葬儀式の意味をたずねながら、死を受け止め、亡き人が残した”大切な問いかけ”を考えていく時間となります。
(以後、儀式の後は法話があります。)
4)打ち合わせ
① 法名について
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法名は、教えを拠りどころとして生きる者の名のりとして、生前にいただくのが私たち真宗門徒の伝統です。しかし生前に法名をいただかれていない方へも、その方の御生涯にちなんだお名前を付けさせていただきます。
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亡くなられた方の人柄や生前の思い出話、大切にしていたことなどをお聞かせください。そのお姿をイメージしつつ、教えの言葉から法名をお付けいたします。
② 葬儀日程の調整
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東北地方の風習では先に火葬を勤めた後、日を改めて葬儀を勤める形が一般的でした。しかし、コロナ下で日程短縮の要望が多くなり、一日で葬儀と火葬を勤める形式が急速に増加しました。正法寺ではどちらにも対応しておりますので、ご希望をお聞きしながら調整いたします。
(ほかのご法事や聞法会等の先約や行事予定もあるため、日程のご希望にお応えできない場合もあります。)
※【A.火葬を先に勤める】と【B.葬儀と火葬を同日で勤める】では納棺後の流れが異なりますので、それぞれご確認ください。
3.納棺
枕経の後には納棺がありますが、ご家族やご親戚と葬儀社で日程を調整して決めるのが一般的です。納棺に住職は立ち会うことはほとんどありませんので、気兼ねなく亡き人に触れ、泣いて笑って、たくさんの時間を使ってお別れしてください。
ただし、その際に気を付けたいことが数点あります。以下のことは周囲の声に流されず、はっきりと意思表示しましょう。
① 清め塩は用いません。
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死は穢れではないため清める必要はありません。身に触れることを忌避したり、何かに憑りつかれるといった迷信に惑わされることは、大切な亡き人を貶めることになってしまいます。亡くなられた方のお姿は、生まれ難い人間に生まれ、いのちの限りを尽くした後の安らぎの姿であり、浄土という阿弥陀さまの世界、”いのちのふるさと”にお帰りになった尊い姿です。「体説法(体で法を説く)」といわれ、遺された方へ亡骸を通していのちの深さ・大きさを伝えてくださる諸仏(仏さま)のお姿なのです。
② 服装は単衣の白衣もしくは平服に肩衣(門徒袈裟)を着用し、念珠をかけます。
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手甲や脚絆、草鞋といった旅装束や守り刀・六文銭や紙銭は用いません。これらは”死後の世界をさまよい歩き、仏さまに出会うまでの旅仕度”という習俗的考え、迷信からくるものです。死に対する忌避感や死後の世界への恐れなどを表現しているものです。しかし、浄土真宗では上述したように、亡くなられた方はそのままの姿が仏さまのお姿であります。決して亡き人を貶めることの無いようにしたいものです。
③ 「逆さごと」は必要ありません。
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「着物を左右逆に着せる」、「逆さ屏風」や「紐の縦結び」などの行為は必要ありません。これらは日常習慣とは真逆の状態を作り出して、生と死を区別する魔除け的な風習が由来となっています。しかし、仏教には「生死無常(生も死も常が無い)」という言葉があり、「生(いのち)あるものは必ず死に帰す(死なねばならない)」と教えています。そしてそれは「老少不定(老いや若さに関係ない)」であるとも教えているのです。むしろ、「死」ということを頭では理解してはいるものの、”生きているのが当たり前”の感覚に陥り、死に直面しても”不都合なこと”だと日常と区別して遠ざけ、考えないようにしている私たちの在り方を批判しているのです。深い悲しみの中に身をおくからこそ「”今”という大切な時間の連続をあなたは生きているのだよ!!」と呼びかけてくる亡き人の”声”が聞こえてくるのではないでしょうか。
【A. 火葬を先に勤める場合】
4.出棺経(自宅 or 会館)
※ 勤行後、棺にお花を入れて最後のお別れ
5.出棺
6.炉前 棺前勤行(火葬場)
7.還骨勤行(自宅 or 会館)
~ 後 日 ~
8.葬儀
9.中陰(初七日)法要
【B. 葬儀・火葬を同日で勤める場合】
4.通夜(葬儀の前夜に勤めます。)
5.葬儀
※ 葬儀終了後、棺にお花を入れて最後のお別れ
6.出棺
7.炉前 棺前勤行(火葬場)
8.還骨・中陰(初七日)法要(自宅 or 会館)
<納骨について>
「葬儀・中陰法要後に納骨まで済ませたい」というご相談を受けることが多くありますが、可能な限り四十九日法要等に合わせる形で日を改めて行うことを願っております。なぜなら、御遺骨の前に座るという時間が”本当に大切なこと”であるからです。葬儀までの慌ただしい時間の中ではなかなかじっくりと亡き人と向き合うことができません。儀式を終えて日常に戻った時、在るべき人が在るべき場所にいなくなった物悲しさが押し寄せてくるかもしれません。それでも、失わなければ気づけなかったことがある、いなくならなければ見えなかったことがある…。その悲しみの中で初めて御遺骨から私に向けられた声なき声が聞こえてくるのでしょう。その”声”に私たちは育てられていくのです。
効率重視の風潮に流されて簡略化してしまうことはその大切な時間を失っていくことなのです。
◆ 葬儀にかかるお金のあれこれ
<ただいま原稿作成中>